史跡・名所4

■吉田切抜(きりぬき)(吉田三)

堀川二期工事の中で難工事であったのが吉田車返から折尾宿口までの岩盤開削工事でした。この工事は「吉田切抜」「とひ切」と称され、石工のノミと鎚によって岩盤を開削していました。400メートル三間幅でくり貫くのに7年間かかりました。

遠賀川の洪水状況を視察した黒田長政は治水につき検討し、①川筋の中間より岩瀬・折尾を経て洞海湾へ流入する川を掘ればと考えました。②また当時遠賀川右岸一帯には水脈がなく、水田耕作に対して灌漑が十分でなかった。③遠賀川を水路として、筑前・豊前の年貢米を運んでいた川艜(かわひらた)が、若松・黒崎方面に行くのに距離的・時間的に短縮できる。元和7(1621年)工事着工し郡民を駆り出して開始されました。元和9年長政死後工事中止となりました。

128年間空白の後、6代藩主黒田継高が再開し禄を受けた石工90人に増し夫役もふやし堀川二期工事を完工しました。そのノミ跡がいまでも堀川の吉田にあります。現在のような削岩機はなくノミを片手に鎚を打ち込む、ノミや鎚の破損がひどく、近くに鍛冶場が何軒かあったそうです。

吉田切抜き


■吉田川伏越 (ふせこし)(吉田二)

手前が吉田川で、向こうが堀川で貴船橋の下で交差しています。

「当初吉田川は曲川の水を田畑に流すよう水路として使われていました。吉田川という名前は昭和43年の河川改修の時につけられました。江戸時代の堀川運河第二期工事のとき(1751から1762年)のときに、吉田川は堀川と交わることになりました。堀川を用水路にし吉田川を排水路にするため、吉田川の川底を掘り下げ、その上を堀川が通るよう立体交差させることになりました。つまり、その土木工事のとき交差する部分を石囲いのトンネルにしたのです。これを伏越(ふせこし)といいます。同様のものは中間市岩瀬の曲川と堀川の交差点にもありましたが、今はなくなっています。石材としては天井に御影石が、底・側板に砂岩が使われています。この砂岩は車返しの切貫工事のときに切り出されたものです。断面は幅190cm×高さ90cmあり、これが長さ25メートルにわたってトンネル状に並べられています。さらに個々の石材の角には切れ込みがあり、それぞれが組み合わされています。このような技術は当時としてかなり高度なものです。」

県道中間水巻線の新貴船橋に伏越のイラスト解説図が掲示されています。

吉田川伏越


■JR東水巻駅 (吉田一)

駅舎は自然の鼓動と森の安らぎを感じていただくためログハウスで、建設されました。

ログ原木は、日本三大美林のひとつとして名高い日田杉を使用しています。

若松・直方の区間の線を複々線に縮小してできた余地を利用して昭和63年3月開業した新しい駅でログハウス風の駅舎はV字型に広がるホームになっています。駅周辺には団地がありますがこれは炭住が改良されたものです。

JR駅は水巻に2箇所あり郡内では唯一です。JR東水巻駅は福北ゆたか線で昇降客1日

1400人位です。

現在は㈱九州交通企画が駅の管理運営をしています。

JR東水巻駅